2019-第7回 ふるさとジュニアカレッジ

井伊直孝ミステリーハイク!』

  井伊直孝と東益津のかかわりを探ろうー

 

 「ひこにゃん」って知っていますか。そうあのキャラクターのベースは、彦根家の井伊直孝公だったって知っていましたか。その井伊直孝公がどうして焼津としかもやきつべの里と関係があるのでしょうか

 今回は、その井伊直孝公の足跡をたどって、ミステリーハイキングします。江戸幕府を260年にわたって安定化させるのに彦根の井伊家の力は大きなものでした。ただ、そんな一端が、ここ焼津にあるのです。・・・どうして、ミステリーなのでしょうか?

 

 

開催日時  11月23日(土)

      午前9:00~12:00

*雨天中止 フェースブックで確認を!

*集合場所 石脇公園駐車場

*持ち物  ・元気な笑顔

      ・長く歩ける靴

      ・出席カード

      ・タオル

      ・水筒

      ・少しの甘いもの

 

*普段忙しくしているお父さんお母さん!わが子と一緒に歴史をたずねるハイキングをしませんか。親子のコミュニケーションをとるきっかけづくりになると思います。

 

 

 

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井伊直孝とは

 

 井伊直孝江戸幕府の樹立に功績をあげた徳川四天王の一人井伊直正の子にあたり、直正の死後は彦根藩2代藩主として大坂の陣などで活躍、「井伊の赤牛」と恐れられていました。江戸幕府においては、徳川家康・秀忠・家光・家綱と4代にわたる将軍の側近として仕え、数々の武功を重ねながら譜代大名の中では最高となる30万石を拝領しました。こうして直孝は徳川幕府より絶大な信頼を得て井伊家を盤石なものとし、幕末期、桜田門外の変大老 井伊直弼が暗殺されるまでの260年にわたり徳川譜代大名の筆頭としての地位を築き上げました。その直孝は、ここ中里の地で生まれております。

 

 

中里と井伊家のつながり

 

 「井伊の赤牛」の異名をもつ彦根藩初代藩主 井伊直正の子として生まれた直孝は、父の直正より所領を受け継ぎ彦根城主になりますが、39歳のとき原因不明の病に罹ります。どの医者が診ても病気の原因が判らず治療の仕様がないといいます。そんな時一人の家臣が夢の中で、「直孝公の誕生屋敷がある駿州中里村の氏神様が荒廃し、無残な姿になっている。社を清浄し丁寧に御祈願すれば病も快方へ向かうだろう。」とお告げをうけました。これを聞いた直孝は、直ちに生まれ故郷中里の荒廃した大井神社の境内を整備させ、武神で知られる京都の石清水八幡宮から祭神を勧請、寛永6年(1629年)若宮八幡宮を建立しました。すると、みるみる病は快方に向かったと言われます。それ以来、毎年正月には中里村の代表が井伊家江戸屋敷に呼ばれ、その都度、金百疋(現在の約10万円)を賜りました。なお10月に行われる若宮八幡宮大祭の折には、毎年、中里村の氏子全世帯に対し井伊家より御供物が配られたとのことです。

 

 

 

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 雨天中止になることが多い

今年度の「ふるさとジュニアカレッジ」です。

ママが所用のため不在

マナ&サト&パパとで参加

 ミステリーウオーキングは楽しかったかな?

江戸幕府とか彦根藩井伊家、徳川四天王

テーマが少し難しかったかな?

実際、焼津市が平成25年に補助をして

産湯の井戸をきれいにしたり

案内板を設置したりしていて

自分は「井伊直之公」のことは全く知らなかったです。

 

 ひこにゃんがなぜ猫のキャラクターで赤い兜なのか?

滋賀県彦根のキャラクターで

ゆるキャラ投票で初代ナンバーワンになった「ひこにゃん

・世田谷区の『豪徳寺』の『“招き猫発祥伝説”』

www.travel.co.jp

・『井伊の赤備え

pleasure-bit.com

 

井伊の赤備え


 武田氏滅亡後、本能寺の変による武田遺領争奪戦(天正壬午の乱)を経て甲斐は徳川家康によって平定されるが、その折に武田遺臣を配属されたのが徳川四天王にも数えられる井伊直政である。武田の赤備えを支えた山県隊の旧臣達も直政に付けられ、これにあやかって直政も自分の部隊を赤備えとして編成している。井伊の赤備え小牧・長久手の戦いで先鋒を務めて奮戦し、「井伊の赤鬼」と呼ばれ恐れられた。以後幕末に至るまで井伊家が治めた彦根藩の軍装は足軽まで赤備えをもって基本とされた。
大坂の陣の折、家康が軍装の煌びやかな井伊直孝隊を見て平和な時代で堕落した赤備えを嘆いた。その中で使い古された具足を身に付けている者達を発見し、「あの者らは甲州からの家臣団であろう」と言い、確認が取れると「あれこそが本来の赤備え」と言ったという。

 

 (中略)

 

 なお、上述の初代彦根藩主・井伊直政と、安政の大獄桜田門外の変で有名な15代彦根藩主・大老井伊直弼は、赤備えにちなみ「井伊の赤鬼」と呼ばれた。また、滋賀県彦根市のマスコットキャラクターひこにゃんの兜は「井伊の赤備え」伝来品をモデルとしており、その兜の様式(天衝脇立)は彦根藩主のものと同じとされる。

ja.wikipedia.org

 

 

 

 

 

 

 

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 朝比奈川は大きく蛇行している川で

現在と位置が違っている。

河川の氾濫を防ぐために、瀬戸川も同時期に

治水工事をしている。

 その昔、八幡さまは「産湯の井」(庄屋さん)から見て

朝比奈川の向こう岸にあった。寛永6年の建立時に

今の場所に移設されたことになる。

 以前の朝比奈川があった場所は田んぼになったのかな?

ミステリーハイク!をして行くと

田んぼがあって、

・それより2メートル高い位置に住宅が出来ている。

・あるいは県道が少し高い位置を走っている。

これは当時の朝比奈川の土手があった場所なんだそうだ。